宣言❶:『広瀬教育ラボは、単語の定義・意味を皆さんと共有できるよう最善を尽くします。』
宣言❷:『広瀬教育ラボは、内容を体系的にまとめ、ストーリー性を持たせることにより、学習者の記憶に刻まれやすい記述を目指します。』
宣言❸:『広瀬教育ラボは、実は地球上でもっともシンプルでわかりやすい言語=数学の力を“適切に”用いて、これまで数学を敬遠してきた人にも届く言葉で語りかけます。』
❶ 単語の意味を共有します

誰かと何かを議論する際,参加者の間で単語の定義が共有されていることは、その議論が有意義なものとなるための絶対条件です。もちろん、教育の場においても同様です。
誰かと何かを議論する際,参加者の間で単語の定義が共有されていることは、その議論が有意義なものとなるための絶対条件です。もちろん、教育の場においても同様です。
例を挙げましょう。株式売買の形態の、「計算」=「誰の財布か」と、「名」=「誰の名義か」の2つの観点から見た分類を学ぶ際、「自己」・「他人」という表現が用いられます。しかし、このことを新たに学ぶ人は、これを聞いてもピンと来ません。なぜなら、「自己」・「他人」という言葉が『誰の立場から見たものか』が明言されないからです。多くの学習者は(私もそうでした)、なんとなく自身にとって一番身近な「投資家」の立場で考えてしまいがちですが、実は『証券会社の立場から』見た言い回しであり、
自己=証券会社、他人=顧客・投資家
が正しい解釈です。
これは、「プロ」の金融マンにとっては、説明不要の常識らしいのですが、これから”業界で働こうとする「学習者」にとっては、わかるはずもありません。

さて、立場が「学習者」から「指導者」に変わった今、私はもちろん「自己」・「他人」の意味を理解しています。ですがそれと同時に、これらの用語を無神経に用いれば、読者が混乱に陥ることも承知しています。そこで、執筆に際しては、『誰の立場から見たものか』を明示し、読者との間で「自己」・「他人」という『単語の意味を共有』できるよう、万全の体制を整えています。

自身が意味を理解して単語を使いながら、同時に相手がその意味を共有できているかに対する配慮を怠らない。これが、「教育のプロ」の姿勢です。

❷ 体系的にまとめ上げます

子供の頃、がむしゃらに掛け算九九を覚えたり、意味もわからぬまま百人一首を記憶した経験のある方もいらっしゃるでしょう。実は、これらは“子供の脳”だからこそ成し得たのだということをご存知でしょうか。

子供の頃、がむしゃらに掛け算九九を覚えたり、意味もわからぬまま百人一首を記憶した経験のある方もいらっしゃるでしょう。実は、これらは「子供の脳」だからこそ成し得たのだということをご存知でしょうか。
人の脳は、成長に伴って「子供脳」から「大人脳」へと脱皮し、いったん大人脳に変わると、子供時代には可能であった「意味のわからないことをそのまま記憶に刻む」という営みができなくなります。
もちろん皆さんは既に大人脳になっているはずですから、
脈絡もなく羅列されているだけの内容は、記憶に残りません。

もちろん、私の著作物はそのような“脳の仕組み”も考慮して書かれています。例えば証券外務員の試験範囲:「株式会社法」に、会社を「大会社」であるか否か、公開会社(株式が広く流通)であるか否かという2つの観点から分類する件があります。広瀬教育ラボのテキストでは、この2×2=4種類への分類を表にまとめ、そのうち代表的な2つのタイプについてその特徴をイラストなどで印象付けた上で、各種会社に対する様々な機関の設置義務へと『体系的に』つなげています。

もちろん、市販参考書にも上記の内容自体は書かれていますが、多くの場合、そこに「前後のつながり」はなく、ただ“個々の”内容が並んでいるだけです。こうした傾向は、今の例に限った話ではなく、世の中には、体系的にまとまった書物や言説が非常に少ないのが実状です。

その理由はごく単純です。「発信者」・「教える側」は、当然ですが多くの場合その分野に“元々”長けている人であり、“無意識に”正しいことが実行できてしまいます。知識を体系的にまとめてから人に伝える必要性など、自身は全く感じていないのです。そのような「指導者」から発信されるのは、「脈絡なき大量知識の羅列」ですから、学習者は途方に暮れるしかありません。

「教育のプロ」は、自身が“無意識”に実行できることを、学習者が吸収できるよう『体系的に整理』してから発信することを、常に心掛けています。

❸「数学という言語」をベースにします

と言うと、「えっ.全編数式だらけなの?」と引いてしまう人もいらっしゃるかもしれませんが,そうではありませんのでご安心を。
と言うと、「えっ.全編数式だらけなの?」と引いてしまう人もいらっしゃるかもしれませんが,そうではありませんのでご安心を。実は、上記1.2.で述べた
「単語の意味を明確に」
「体系的に記述する」
という2つの姿勢も、数学的な記述の特徴です。つまり、ここで述べる「数学という言語」とは、物事をシンプルに、明快に、理解しやすく伝える文体のことを指しています。

数学語の優位性を示す例を挙げましょう。とある授業で、先生が、
☆「このクラスには、いつも寝てる人がいるな~。」
と言ったとします。ごく普通のありふれた風景であり(笑)、日常で普通に使われている文ですね。ですが、「数学語」(数学的思考法)を備えた人なら、この文の不完全さを瞬時に察知できます。この「日常語」には、次のように2通りの異なる解釈が可能なのです。
1.いつも寝てる人が、いる。
2.いつも、寝てる人がいる。
違いがわかりますか?もう少し表現を補うと、次のようになります。
1.ずっと寝続けている人が、いる。
2.いつでも、誰かが寝ている。
これなら、意味がわかりますね。

私は「数学語」をマスターしているので、☆の文の不完全さを見抜けます。だから、内容を伝える際には読者に充分配慮して文を書きます。一方、2つの意味の違いなど夢想だにできない執筆者は、☆のまま漫然と発信して読者の誤解を招くことになるでしょう。このように、「数学語」を解する者とそうでない者との「伝える力」の差は、歴然です。
ただし、数学語を解するからといって、純粋な数学的表現のまま発信したのでは、それに慣れていない読者には届かないことも、長年の教育経験を通して重々承知しています。

「数学語」に長けていて「日常言語」の不完全さを見抜く力をもち、同時にそれを噛み砕いて日常言語の体裁で伝えるスキルを持つ。それが「教育のプロ」です。

広瀬教育ラボの理念動画